あすなろ通信第58号(1301)

     あすなろ通信第58号(1301)
あすなろ支援会会長 才田 覚
 この「あすなろ通信」は、あすなろ支援会会員の皆様にこれをお届けすることにより、一つはあすなろ支援会会員の方々の動きや鍼と健康に関することを皆様にご理解いただき、皆様のお役に立ちたいこと、そして二つ目には会員相互の一体感を高めて本会を発展させること、この二つの目的で発行いたしております。
 このようなことでございますので皆様には会へのご協力をいただく意味で連絡、ご意見、お尋ね等々、何でもございましたら会の事務局(下記)までお寄せ下さいますようお願いいたします。

あすなろ支援会事務局
住所 〒862ー0941
   熊本市中央区出水8丁目19ー24 
   才田鍼専門治療院気付
   あすなろ支援会事務局
電話 096ー371ー1234
あすなろ支援会ホームページアドレス

ようこそ

さて今月の通信は、事務局からとして支援事業4報についてお届けし、それからあとは、あずにゃん12号、今月の言葉38号です。どうか最後までお読み下さいますように。

  ・事務局から
 今回は支援事業4報についてお届け致します。
 第3報として先月「あすなろはり治療院ー大矢野ー」藤川先生ががほぼ開業ということをお伝えしました。今回は藤川先生から本会に対して支援のお礼が届いておりますのでそれを掲載致します。

大矢野の藤川です。
昨年、あすなろ支援会の才田先生と島田様ご夫妻のお力添えで、あすなろ鍼治療院 -大矢野-を開設する事が出来ました。
これまでと違うのは、畳での治療からベッドでの治療になり、仕事がやり易くなったのと、今までマッサージだけの患者さんにも鍼治療を受けてもらうことができるようになったことです。
支援会ではベッドと看板代を支援して頂きました。
才田先生はじめ、あすなろ支援会の皆様に心からご支援のお礼を申し上げます。ありがとうございました。

  ・あずにゃん無農薬野菜情報
自然の野菜作りのことを、そしてその野菜作りのおもしろさや農全体に関する深い問題も、体験談を交えてあずにゃん(川口梓さん)が平成24年の2月から連載して下さっております。
事務局(上記)ではこれをお読みの皆様のご感想・ご意見・ご提案・ご要望をお待ちします。

 あずにゃん第12号(1301)
 突然ですが、「野菜を作る」と言います。
 普段、畑仕事をしていて、種まきしたり、収穫したり、出荷したりとやっていると、「野菜を作る」と言う表現は変だといつも思います。野菜は「育て」ているだけで、「作る」ものではないなと感じます。ちょっと、これは、お酒に酔っぱらった時のおじさんがい言いそうな理屈っぽい話ですが(笑) なので、私は野菜や畑の話をする時に表現を間違わないようになるだけ気をつけて使っています。 まぁ、誰もそんな事に気にしていないと思いますが、自分が気持ち悪いので。。ま、自分の気持ちの問題ですね(笑) 「農」と言うものを、端くれですが、始めてから、私は「畑」と言うものに頼って生きている気持ちです。だんだんとその気持ちが大きくなり、やればやるほど強くなり、きっとこれからもそうだろうと思います。
 土が作物を育ててくれます。私は本当にそのお手伝いをしているだけに過ぎません。私はその恩恵を受けて生きていっているので、「畑」様々です。
 収穫になれば、虫にやられたり、形が悪くて商品にならない野菜も出てきます。それを私はなかなか捨てる事ができずに、はじめは全部家に持って帰ってしまい、野菜だらけになり、さすがに家族も迷惑そうだし、人にもあげていましたが、最近はお弁当屋さんの惣菜に使ってもらったり、畑に置いて置けば、また土に還って肥料分になるのだからと自分にもいい聞かせて置いておきます(笑)
 今年の冬は堆肥つくりをしようかと考えています。
 1年、1年出来ることが増えて満足感もあるので、この調子で進めたらいいなと思っています(笑)
では、皆さま本年もよいお年をお過ごし下さい

  ・今月の言葉
          今月の言葉担当 坂田 勇
 平成21年11月から「今月の言葉」を紹介させていただいている坂田と申します。熊本市在住、40代の営業マンです。
 私などがこのような場で執筆するのは、正直少々気恥ずかしいのですが、ここで紹介いたします「言葉」が、皆様の毎日の日常に少しでもプラスになればと思い書き進めてまいります。どうぞ宜しくお願いいたします。

今月の言葉:38(2013年1月)

人間ならば誰にでも、
現実のすべてが見えている訳ではない。
多くの人は、見たいという現実しか見ていない。

共和制ローマ期の政治家・軍人である※①ユリウス・カエサル(英語読み:ジュリアス・シーザー)の言葉です。
日本はバブル景気がはじけた1990年前後から、政権交代こそ実現したものの、相変わらず国民不在の「政治」が続いており、選挙権を持ちながら、国民の大半が政治に対する期待を持てない状態にあります。
しかし、カエサルは2200年も前に「人間の本質」を理解しており、※②「衆愚政治」の実態・欠陥を見事に見抜いていたことが分かります。まさに世界史を代表する英雄の「世界観」だと思います。

カエサルは紀元前58年にローマ共和国軍の司令官としてガリア(現在のフランス)へ遠征し、紀元前52年にガリア全土を平定、ローマ共和国の完全な属州としました。またその間、紀元前55年にはゲルマニア(現込のドイツ)に侵攻、ゲルマニア人のガリア入植を退け、ライン川防衛線を築きました。このガリア戦争での数々の功績により、カエサルは元老院(げんろういん:ローマ共和国の国会)からガリア属州総督に任命され、その名声は本国:ローマで大いに高まりました。
またカエサルはこのガリア戦争の一連の経緯を「ガリア戦記」として著しています。
しかしカエサルの余りの名声に脅威を感じた元老院は、カエサルが率いた軍団とともにローマへ凱旋することを許さず、紀元前49年、カエサルにガリア属州総督の解任と武装解除して本国召還を命じる「元老院最終勧告」を突きつけました。
対するカエサルはこの「元老院最終勧告」を無視して、ローマ共和国本土と属州ガリアの境界線であるルビコン川を渡り(いわゆる「ルビコン渡河」)、アドリア海沿いに進軍してローマへ凱旋、ローマ共和国本土(現在のイタリア半島)をあっという間に平定しました。カエサルに敵対した元老院議員たちのほとんどはギリシャへ落ち延びました…。
その後もカエサルの活躍は続きます。紀元前48年、カエサルは属州エジプトの後継者争いに介入し、これを平定(クレオパトラ女王の擁立)。続く紀元前47年には北エジプトを平定、ローマ共和国の版図を西は現在のスペインから、東は現在のトルコ中部まで、イタリア本土を中心に地中海の四方まで拡大しました。
そして紀元前46年夏、ローマへ帰還したカエサルは市民の熱狂的な歓呼に迎えられ、壮麗な凱旋式を挙行しました。このときまさにカエサルはローマ共和国の英雄であり、絶頂期にありました。
元老院を武力で制圧し、ローマの支配権を確固たるものにしたカエサルは、いよいよ「共和制」の改革に着手します。紀元前44年2月、自ら「終身独裁官」に就任し、権力を1点集中することで統治能力の強化を図り、元老院の機能・権威を形骸化させたのです。この権力集中システムは後継者:オクタウィアヌス(後の※③アウグストゥス)に引き継がれ、「帝政ローマ」誕生の礎となりました。
しかしカエサルの振る舞いや言動、そして「終身独裁官」としての絶対的な権力に対し、元老院議員のブルトゥスやロンギヌスに代表される共和主義者は共和制崩壊の危機感を抱き、紀元前44年3月15日、元老院議会の開会前に議場内でカエサルを暗殺(刺殺)しました(カエサルの体には23箇所もの刺し傷があったと伝えられています…)。
カエサルの死後、後継者:オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)はブルトゥスやロンギヌスら共和主義者を一気に滅ぼし、古代共和制ローマを終焉させ、「ローマ帝国」へと変貌させました。
この歴史からみれば、カエサル暗殺は歴史的必然性はないものだったかもしれません。
しかし「共和制ローマを守る」という「現実」を見ていた(価値観を持っていた)ブルトゥスやロンギヌスら共和主義者からすれば、カエサルの「独裁制」は命に代えてでも阻刷すべきものであり、譲れないものだったのだと思います。
逆に「ローマをより強く、強大な国にする」という「現実」を見ていた(価値観を持っていた)カエサルからすれば、「共和制」に拘らないほうがローマの繁栄に繋がることは自明の理だと、死の瞬間まで確信していたと思います。

歴史を現代の価値観で判断し、どちらが善でどちらが悪かというような線引きをすることは、私は全くナンセンスなことだと思っています。
自分に見える「現実」を信じて、それぞれ「自分の価値観」を貫いた、カエサル、ブルトゥス、アウグストゥス…
私はそれぞれに魅力を感じますが、皆さまはいかが思われますか?
(今回は「今月の言葉」ならぬ、「今月の歴史物語り」となってしまいました。筆者の気まぐれと思い、どうぞご容赦ください。)

※①ユリウス・カエサル(紀元前年100年頃-紀元前44年3月15日):共和制ローマの政治家、軍人であり、文筆家としても有名。
共和制ローマの元老院議員から、「終身独裁官」へ就任し、のちのローマ帝国の基礎を築いた人物。
「賽は投げられた」(=いわゆる「ルビコン渡河」の際の台詞)、「来た。見た、勝った」、「ブルゥートス、お前もか?」などの引用句でも有名な英雄です。
※②衆愚政治(しゅうぐせいじ):多数の愚民による政治と言う意味で、民主制(選挙制)を揶揄して用いられる言葉。暴民政治とも呼ばれます。
これに対し、多数の愚民が選んだ代表者による政治よりも、「1人の英雄・天才」による政治のほうが有益であるとする考え方が独裁制です。
衆愚政治(民主主義)よりも独裁制のほうが、現実の政治においては良い結果をもたらす、とする考え方はカエサル以前からあり、ルネサンス期の1513-1514年にマキャヴェッリはその著書「君主論」で同様のことを述べています。人類史上で延々と繰り返されてきた哲学議論の一つであり、未だその答えは出ていません。
※③ガイウス・ユリウス・オクタウィアヌス・アウグストゥス(紀元前63年9月23日-紀元14年8月19日):ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年-紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで共和制ローマの内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して「帝政」を創始、パクス・ロマーナ(ローマによる平和)を実現した人物です。
(文責:坂田)

 これで支援会通信の平成25年1月号は終わりです。
 皆様本年もどうぞ各々の生き方で素晴らしい1年をお過ごし下さい(編集担当)。