あすなろ通信第80号(1411)

あすなろ通信第80号(1411)
あすなろ支援会会長 才田 覚
 この「あすなろ通信」は、あすなろ支援会会員の皆様にこれをお届けすることにより、一つはあすなろ支援会会員の方々の動きや鍼と健康に関することを皆様にご理解いただき、皆様のお役に立ちたいこと、そして二つ目には会員相互の一体感を高めて本会を発展させることによりさらに鍼の普及をはかること、この二つの目的で発行いたしております。
 このようなことでございますので、皆様には本会へのご協力をいただく意味で連絡、ご意見、お尋ね等々、何でもございましたら会の事務局(下記)までお寄せ下さいますようお願いいたします。

  ・会員募集についてのお願い
 当「あすなろ支援会」では常時会員の募集を行っております。
 これをお読みの会員の皆様も周りの人にこの会へのご入会をお勧め下さいませ。その時の資料として「あすなろ支援会へのご入会案内」を同封致します。皆様よろしくお願い致します。

あすなろ支援会事務局
住所〒862ー0941
熊本市中央区出水8丁目19ー24
才田鍼専門治療院気付
あすなろ支援会事務局
電話096ー371ー1234

あすなろ支援会ホームページアドレス
http://asunaro-hari.jpn.org/

 さて、今月のあすなろ支援会通信は、会員常時募集についてのお願い(別紙)、事務局からとして、
1.販売部の販売品価格のお知らせ
2.あすなろはり治療院ーグループーの「あすなろ無料はり体験会」が今年も確かな手応えのうちに開催されました
 あとは、あずにゃんと今月の言葉をお届けします。

   ・事務局から
1.販売品価格のお知らせ
 販売部では鍼治療院に必要な品物の販売を行っています。今月もその価格一覧を掲載致します。
 皆さまのご利用をお待ち致します。

 ・あすなろ販売部価格一覧(201409)
はり すり下ろし ミルキーウェイ 医交社風
             50本単位 1900円
              1本単位  50円
はり ヤンイー     1箱(税込み) 1000円
はり タフリー 02番  1箱(税込み) 900円
アルコール(イソプロピル) 1本単位 330円
綿花        1袋( 1キロ)  1900円
はり筒           1本   1300円
折りたたみベッド 2万3千円
   初回の組み立てや説明が必要な場合は別に費用が加算されます。
ペーパータオル       1包み  130円

2.あすなろはり治療院ーグループーの「あすなろ無料はり体験会」が今年も10月19日に確かな手応えのうちにあすなろ鍼治療院ー山﨑ーで開催されました。
 担当は嶋田副会長で、体験者も10人強で、大盛況まではいかなくとも確実に実績を挙げている手応えが感じられる内に開催されました。

  ・あずにゃん無農薬野菜情報
 自然の野菜作りのことを、そしてその野菜作りのおもしろさや農全体に関する深い問題も、ひいては心の根幹に触れる体験談を交えてあずにゃん(山部梓さん)が平成24年の2月から連載して下さっています。
 事務局(上記)ではこれをお読みの皆様のご感想・ご意見・ご提案・ご要望をお待ちします。

あずにゃん第30号(1411)
 山都町に来てあっという間に1年が経ちました。
 ここに住んでいると、四季の移り変わりがよく分かります。近頃食育が盛んですが、まさに食育にぴったりの場所です。今の時期には柿がびっしり実っているし、それを取ってきて食べます。里芋もほりたてをいただき、家の食卓に並びます。色々ある中で、今年初挑戦したものがあります。コンニャク作りです。隣のおばちゃんにくっついて、おばちゃんの畑にこんにゃくいもをほりに行きました。コンニャクの葉っぱは、茎がまだら模様で、初めてこれを見つけて食べようと思った人はすごい勇気あるなと思います。
 朝から芋を掘り庭で火をたき、大きな鍋で芋を煮て、午前中にはコンニャクが出来上がりました。何と仕事の早いこと!
 出来上がったコンニャクは素晴らしくおいしかったです。贅沢だなあと、しみじみ。

 これは受け継いでいかなくちゃと私も張り切っている次第です。
 買って食べるコンニャクとは、風味も食感もまるで違います。
 何かと私はおばちゃんに料理を教えてもらっているので、ノートに整理して、我が家のレシピ本を作っておこうかと思ってます。そしてそれをいつか子供達が成長してから渡したいなと、勝手に親の想像が広がります。
 おばちゃんは「田舎料理たい」と言いますが、目の前の畑でもぎたてのキュウリが出てきたり、オクラやトマトがミョウガと一緒にサラダになったり、贅沢な食卓です。取れたばかりでみずみずしく、おいしい物ばかりです。
 豊かだなあとしみじみ思って、この環境がどういう風に子供達に大きな影響を与えてくれるか楽しみです。

  ・今月の言葉
今月の言葉担当 坂田 勇
平成21年11月から「今月の言葉」を紹介させていただいている坂田と申します。熊本市在住、40代の営業マンです。
私などがこのような場で執筆するのは、正直少々気恥ずかしいのですが、ここで紹介いたします「言葉」が、皆様の毎日の日常に少しでもプラスになればと思い書き進めてまいります。どうぞ宜しくお願いいたします。

今月の言葉:57(2014年11月)

「その時、お前の左手は何をしていた?」

この言葉は、今年のNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛(ぐんし かんべえ)」の主人公:黒田官兵衛(くろだ かんべえ)が関ヶ原の合戦(1600年)のあと、嫡男(ちゃくなん): 長
政を叱責した言葉だと伝えられています。

秀吉の軍師として活躍した官兵衛は、秀吉の九州平定後の天正15年(1578年)7月に※1:豊前(ぶぜん)中津12万石を与えられ、豊前国主となりました。
しかしそれから2年後の天正17年(1589年)5月、官兵衛は42歳で突然家督(かとく)を20歳の嫡男:長政に譲り、領国(りょうごく):豊前中津を殆ど長政に任せ、自身は京都・大阪を拠点として引き続き秀吉の軍師として仕えます。さらに3年後の文禄2年(1593年)6月には、剃髪(ていはつ)して出家し、「 如水(じょすい)」と改名し ています。

この官兵衛の一連の行動(突然の家督相続、領国を離れての秀吉への臣従、「如水」への改名)には、以下のような経緯があったと言われています。

あるとき、秀吉が家来たちにふざけ半分でこう尋ねました。「自分が死んだら、代わって天下を保つのは誰か?遠慮なくいってみよ」。家来たちは、当時実力が喧伝されていた徳川家康、前田利家などの名を口にしたが秀吉は頭を横に振って答えた。「違う。それは、あの黒田官兵衛だ」「しかし彼はたかだか10万石程度の大名。とても天下人になどにはなれないのでは?」と家来たちは言いました。
そこで秀吉は答えました。「自分はこれまでの合戦で、あれやこれや決めかねたことも多い。そんなとき官兵衛に尋ねるとたちどころに裁断し、自分が練りに練った考えと一致していた。ときにはワシの意表をつく考えさえ何度かあった。あの男の心は剛穀で、思慮深く、まさに天下に比類ない。彼が望むなら、いますぐにでも天下を譲るだろう」。

これを伝え聞いた官兵衛が、「これはわが家の災いの元」とつぶやき、家督を嫡男:長政に譲り、剃髪・出家して「如水」と号した、というものです(奇しくもこの原稿を書いている二日前(2014.09.21)の大河ドラマ「軍師 官兵衛」:第38回
「追い込まれる軍師…」では、官兵衛が徳川家康から秀吉が自分を恐れていることを聞かされ、愕然とするシーンが描かれていました…)。

秀吉の真意?を知った官兵衛は秀吉の軍師に徹し、天正18年(1590年)の小田原の陣では北条氏政(ほうじょう うじまさ)・氏直(うじなお)父子を小田原城に入って説得し、無血
開城させるという功績を立てました。
また秀吉の二度の朝鮮出兵(1592年と1597年)の際には、二度とも※2:軍監(ぐんかん)として従軍しています。

そして慶長3(1598)年8月、天下人である主君:豊臣秀吉は幼い我が子:秀頼(ひでより)の行く末を案じながら息を引き取ります。
秀吉の死から僅か2年後の慶長5(1600)年6月、関ヶ原の合戦が起きたのは、秀吉の遺児:秀頼(ひでより)とその生母:淀の方(よどのかた)を担いでいた石田三成(いしだ みつなり)ら(いわゆる文治派)
と、三成らの行動を専横と憎悪していた加藤清正、福島正則、そして官兵衛の嫡男:長政ら(いわゆる武断派)の対立(豊臣政権を支える秀吉恩顧の大名同士の対立)が、徳川家康につけいる隙を与えた結果でした。

「このままでは豊臣家は家康に乗っ取られてしまう…」、武断派との勢力争いに敗れ一度は蟄居(ちっきょ)の身となった石田三成は、家康が上杉征伐と称して秀忠と共に七万以上の軍勢を率いて上杉領の会津を目指した隙に、盟友:大谷吉継(おおたによしつぐ)や秀頼の後見人:毛利輝元(もうり てるもと)らを説き伏せて、反家康の兵を挙げました。

三成の挙兵に家康がほくそ笑んだのは言うまでもありません。かつて秀吉がそうしたように、家康が豊臣家から天下を奪い取るにはそれなりの大義名分が必要でした。「三成が秀頼の幼いのをいいことに豊臣家を私(わたくし)しようとしている。今回の挙兵こそ三成が不義不忠の臣であるなによりの証拠である」と断じ、加藤清正、福島正則といった故・秀吉子飼いの臣であった者たちを手なずけ、一転三成討伐のための私兵へと彼らを駆り立てました。

豊前中津で隠居の身となっていた黒田如水も、三成の挙兵とそれに対する家康の動きを絶好の好機と捉え、即座に動きました。何年も前から※3:吝嗇(りんしょく)して貯めた金銀米穀をこの時とばかりに放出して九州中の牢人を募って軍勢を整えました。「天下を賭けた大合戦だから一月や二月では片はつくまい」、そう読んでいた如水は、両者が死闘を繰り広げている間に九州全土を制圧し、その軍勢で京へ攻め上がって関ヶ原の勝者と雌雄を決しよう、という気宇壮大な気概さえ抱いていました。しかし間もなくその思惑は見事に打ち砕かれます。天下を二分した関ヶ原の合戦は、家康を総大将とする東軍が僅か半日で劇的な勝利を収めていたからです。皮肉にも九州制圧の第一歩として、如水が隣国:※4:豊後(ぶんご)を�
��圧した同じ9月15日の出来事でした。

「もし天下の趨勢(すうせい)がこんなに早く決まっていなかったなら、今頃は…」、そんな夢想が如水の胸中に渦巻いていたとしても不思議ではないでしょう…。更に如水を苛立たせたのは、嫡男:長政からの書状でした。「東軍(家康)を勝たせるために、自分は小早川秀秋(こばやかわ ひであき)に西軍を裏切るように促してその通りになりまし
た」、自慢げな文面に、いくら歳若く、思慮が足りないとはいえ家康に易々と天下を取らせるとは何事かと…。

父:如水の失望など露知らぬ長政は意気揚々と国許へ戻り戦勝報告をしました。「合戦の後、家康公は私の右手を三度取り、『貴殿のお陰でこの度の合戦は勝ったようなものだ』と感謝されました」、嬉々として語り続ける息子:長政に対し、如水は冷水を浴びせるような一言を口にしました。「その時、お前の左手は何をしていた?」

長政は思わず絶句しました。空いている左手で家康を刺し殺すことができたのではないのか?、という意味だったからです。
(果たしてNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」ではこのエピソードは語られるのでしょうか?)

嫡男:長政が東軍に属したため、如水も東軍に属していました(九州制圧の戦いも西軍の大名を攻めるという形での戦いでした)。しかし家康も如水が自分のために働いてくれたとは思ってなかったようで、長政には34万石を加増して※5:筑前(ちくぜん)名島52万石という大国を与えたものの、大坂城に出向いた如水には労いの言葉をかけただけだったそうです…。

稀代の策士として秀吉、家康という2人の天下人に恐れられたことと、秀吉の前半生を支えた(言わば官兵衛の前任者である)軍師:竹中半兵衛(たけなか はんべえ)の清廉潔白な生き方と比較されて、
官兵衛には上記のような野心家としてのエピソードが数多く残されていますが、史実としては下剋上が当たり前であった戦国時代に在って一度も主君を裏切ったことはなく、忠臣と言える武将だと私は思います。

皆さまはいかが思われますか?
(文責:坂田)

※1:豊前(ぶぜん):現在の福岡県東北部と大分県北部。
※2:軍監(ぐんかん):総大将の補佐として助言をしたり、その指揮下の武将を監督する役職。事実上のNO.2。
※3:吝嗇(りんしょく):度を超えてケチであること。
※4:豊後(ぶんご):現在の大分県の大部分(宇佐市・中津市除く)
※5:筑前(ちくぜん):現在の福岡県西部

   ・広告のページ
あすなろ通信をお読みの皆さまへ
「今月の言葉」を連載させて頂いております、坂田です。
いつもありがとうございます。
これまであすなろ支援会には、HP作成や「今月の言葉」など、ボランティアに徹して参画して参りました。
しかしながら私の本業である保険代理店業でも、皆さまのお役に立てることがあるかもしれないとの想いから、才田先生の許可を得ましてPRをさせて頂くことになりました。
どうぞ宜しくお願い致します。

私は、東京海上日動火災保険(株)及び東京海上日動あんしん生命保険(株)の代理店:株式会社 友和会(ゆうわかい)の営業マンです。
キャリアは今年でちょうど20年目を迎えております。営業エリアは原則的には熊本市及びその近郊です。
取扱商品は、自動車保険・火災保険・傷害保険・自賠責保険など損害保険全般と、医療保険・がん保険・生命保険・個人年金保険など生命保険全般です。
お客様の「万が一」の際に、お役にたてる保険商品を取り扱っております。
何かございましたら、どうぞお気軽にお声かけください。
何かお役に立てることがあるかもしれません。
ありがとうございます。

〒862-0950
熊本市 中央区 水前寺 4丁目 8-28
 東京海上日動火災代理店
 東京海上日動火災あんしん生命代理店
株式会社 友和会(ゆうわかい) 坂田 勇(さかた いさむ)
事務所:096-383-6660
携帯電話:090-1086-4722

 これで支援会通信の平成26年11月号は終わりです。
 皆さま、爽やかな秋から冬に向かいます。どうか体調に気をつけられて、時々の季節の良さをお楽しみ下さい。