あすなろ通信第47号(1202)

     あすなろ通信第47号(1202)
あすなろ支援会会長 才田 覚
 この「あすなろ通信」は、あすなろ支援会会員の皆様にこれをお届けすることにより、一つはあすなろ支援会会員の方々の動きや鍼と健康に関することを皆様にご理解いただきお役に立ちたいこと、そして二つ目には会員相互の一体感を高めて本会を発展させること、この二つの目的で発行いたしております。
 このような意味で皆様には連絡、ご意見、お尋ね等々、何でもございましたら会の事務局(下記)までお寄せ下さいますようお願いいたします。

あすなろ支援会事務局
住所 〒862-0941
   熊本市出水8丁目19-24 
   才田鍼専門治療院気付
   あすなろ支援会事務局
電話 096-371-1234
あすなろ支援会ホームページアドレス

ようこそ

 さて今月の通信は、事務局から、あすなろはり支援会総会について、会員情報(川口梓さん)、あずさ1号(無農薬野菜情報)、今月の言葉をお届けいたします。
 どうか最後までお読み下さいますように。

   ・事務局から
1.役員監査会開催について
 これを書いているのは1月の20日頃ですが、1月22日に役員監査会を行います。
 場所はあすなろ支援センターで出席は次の6名の予定です(敬称略)。
 平井孝明、才田覚、嶋田裕、堀江照俊、木之田真帆、藤川和代

主な議題は次の通りです。
ア.今年度の総会の準備
イ.無料はり体験会の段取りについて
ウ.義援金出費先の選定について
エ.あすなろ支援会の組織強化について

   ・平成23年度あすなろ支援会総会について
 上記役員会でその式次第が検討され、その結果を皆様にお手紙でお伝えします。どうぞ1人でも多くの方のご参加をお待ちいたします。今度初めて私たちの拠点でありますあすなろ支援センターで総会を行います。ですから1人でも多くの会員の方においでいただきたいと役員一同願っています。

   ・会員情報
 平成22年の4月から不定期的に本会会員の方々の情報をお伝えしております。
 今回もそのお一人の人についてお伝えします。
  川口梓さん
 数年前から本会会員として色々とご協力いただいている方です。
 今回はその川口さんが野菜を無農薬で作っていらっしゃることが分かりましたので、そのことを書いてみようとこのコーナーに取り上げてみました。
 川口さんはしばらく前から農業、特に野菜作りに興味を持たれて、現在学びと実践に取り組んでいらっしゃいます。
 子供を2人育てながら真剣に農業を仕事にしたいと頑張っていらっしゃる姿を見て私は思います。無農薬の野菜を会員みんなで食べて、私たち会員が健康になることと、川口梓さんの農業で自立したいという夢の実現がなされることを祈り続けよう。

 それでは川口梓さんから寄せられた情報を掲載します。この情報は信州行きの列車ではありませんが「あずさ第○○号」というように今月から掲載を続けてみることの企画をやってみることにいたします。これをお読みの方からのお尋ねご意見ご要望がありましたら事務局(連絡先は前記)までご一報ください。

あずさ1号(1202)
農薬、化学肥料、除草剤を一切使わず、御船町でお野菜を育てています。
土と命と暮らしを大切にしたいという想いでやっています。
このお野菜は、佐土原(熊本市)の有機生活というお店に置いてあります。直接、お電話頂ければ、近くであれば配達も致します。
電話番号 080-3370-5449
川口梓です
今の時期は、ジャガ芋、大根、チンゲンサイ、ほうれん草があります。よろしくお願いいたします。

  ・今月の言葉
今月の言葉担当 坂田勇
 平成21年11月から「今月の言葉」を紹介させていただいている坂田と申します。熊本市在住、40代の営業マンです。
 私などがこのような場で執筆するのは、正直少々気恥ずかしいのですが、ここで紹介いたします「言葉」が、皆様の毎日の日常に少しでもプラスになればと思い書き進めてまいります。どうぞ宜しくお願いいたします。

今月の言葉:27(2012年2月)

この世に強い者なんておらん

強くあろうとする者

おるのはそれだけじゃ

これは「宮本武蔵」を主人公とした「バガボンド」(注)というマンガ(講談社の青年漫画誌:週刊モーニングに連載中)に出てくる言葉(台詞)です。

この「バガボンド」は、吉川英治氏の小説「宮本武蔵」を原作としながらも、著者:井上雄彦氏が独自のアレンジを大胆に加えているため、一般的に知られている「宮本武蔵」とかなり違う「宮本武蔵」像が描かれており、実に斬新な作品です。

(注)バガボンド(vagabonndo:英語で放浪者・漂泊者という意味です)

武蔵は「剣の道に生きる」という決心をして、13歳で初めて勝負(決闘)に勝利して以来、29歳迄に60余回の勝負を行い、その全てに勝利したと伝えられています。武蔵が「武芸者」として全国にその名を轟かせるようになったのは、当時日本最強と謳われていた京都の吉岡道場に勝負を挑み、当主:清十郎とその実弟:伝七郎を1対1の勝負で破ったあと、残された吉岡道場の一門70余名が恥も外聞も捨てて全員で武蔵1人を相手に斬りかかり(いわゆる洛外下松の戦い)、武蔵は満身創痍となりながらもたった1人で吉岡一門70余名全員を切り捨て、勝利してからです。

冒頭の言葉(台詞)は、その話しを耳にした武蔵の幼馴染み:又八が自分と武蔵を比べて「俺は弱い、情けない」という卑屈な思いにとらわれ、酒に溺れ、嘘をつき、とうとう盗みにまで手を染める有り様となっても、母:杉が又八を見捨てず、諭すように語った言葉です。

この母:杉の言葉で、又八は等身大の「自分」というものを徐々に取り戻して行きます。「武蔵は武蔵、俺は俺だ」と…。

しかし又八がやっと「自分」を受け入れられるようになり、人生をやり直そうと思った矢先、母:杉は病により命を落とします…。

又八は丁重に母:杉を弔い、故郷の美作村に帰って家業を継ぎ、「武蔵」のその後の武勇伝を「風の噂」で聞くことになります。

一方の武蔵は吉岡一門を破ったことで名実ともに「日の本一の武芸者」となり、子どもの頃からの夢であった「天下無双」の剣豪となりました。

しかしその直後から「日の本一の武芸者」である武蔵を倒し、自分が「日の本一」、「天下無双」になってやるという武芸者(若かりし頃の武蔵そのもの)につけ狙われ、明けても暮れても勝負や闇討ちの日々が続き、心休まる時がなくなって行きます。

「追う立場」から「追われる立場」となって初めて、「天下無双」という名の重さと、言いしれぬ恐怖の螺旋を実感することになるのです。

そして有名な「巌流」(通称:佐々木小次郎)との決闘に勝利した後、武蔵の「武芸者」としての名声は確固たるものとなり、武蔵を武芸指南役として迎えたいという藩が多数現れます。しかし武蔵のその後の足取は定かではなく、晩年に肥後藩主:細川忠利公に客分として招かれるまでは、主君を頻繁に変えながら全国を放浪していたと伝えられています。

約30年に及ぶ放浪生活は、「強くあろうとする者」がその頂点を極めた時、心は「達成感」ではなく、その地位を奪われる「恐怖」に満ちていたのではないかと思われてなりません…。

肥後細川藩に迎えられたとき、武蔵は57歳となっていました。この頃から武蔵は「武芸」だけでなく、のちに国の重要文化財に指定される水墨画、木刀など、実に繊細な工芸品の制作にも取り組んでいます(それらの作品の多くが、熊本市の島田美術館に収蔵されています)。

その後、武蔵は金峰山の霊巌洞に籠り兵法書「五輪の書」を著し、61歳で藩から与えられた千葉城(熊本城の東部に隣接した城)の屋美で亡くなっています。

霊厳洞を訪れた方はお分かりだと思いますが、あの山奥の岩をくり抜いたひっそりとした空間だけが、「強くあろうとする者」:武蔵がようやく心の安らぎを取り戻せた場所だったのかもしれません…。

又八の母:杉の言葉を、武蔵はまさに身を持って体感したのではないでしょうか?

皆さまはいかが思われますか?

                                                    (文責:坂田)

 これで今月のあすなろ通信は終わります。
 2月は光の春、そして3月は暖かな春が来ると期待されますが、実際はまだまだ厳冬は続きます。
 皆様お身体をおいといの上、寒さを乗り切って本当の暖かな春をお迎えください。