訃報 才田覚先生逝去のお知らせ

 あすなろ支援会及びあすなろ はり治療院グループ 代表 才田覚先生 儀 かねてより病気療養中のところ2024年11月15日に逝去されました

 才田覚先生は(はり)の仕事を愛され、最期まで本会と平方(ひらかた)の鍼のために尽力されました

 ここに生前のご厚誼を深く感謝しご冥福をお祈りするとともに 謹んでご報告申し上げます

祭壇

  「才田覚75年の歩み」
         才田富士子・文

1949年(昭和24年)6月29日 
  山鹿市鹿北町で才田正晴・アキエ夫妻の長男として生まれる。
1956年(昭和31年) 熊本県立盲学校へ入学
1967年(昭和42年) 専攻科入学
  (はり)・灸・あん摩指圧マッサージの免許を取得
1970年(昭和45年)3月 専攻科卒業
1970年(昭和45年)4月 
  東京都世田谷区の失明者更生施設信愛ホームへ入所して平方(ひらかた)のはり技術を学ぶ。前月に福岡県久留米市三潴町(みづままち)から上京して、事務員として働き始めた富松富士子と出会う。
1972年(昭和47年)9月 はり科学研究課程を修業する。

若き日の白衣姿

1973年(昭和48年)3月 信愛ホームを退所して熊本へ帰る。
  熊本市中央区出水7丁目で「才田はり治療院」を開業する。
1973年(昭和48年)12月19日
  富松富士子と結婚する。
1974年(昭和49年) 長女誕生
1976年(昭和51年) 次女誕生
1980年(昭和55年) 三女誕生
1983年(昭和58年) 現在の出水8丁目へ引っ越しする。
1990年(平成2年)頃 パソコンやアマチュア無線や八点式漢点字に熱心に取り組む。
2000年(平成12年)頃 (はり)研推進委員会など全国の平方(ひらかた)のはり普及のために力を注ぐ。
2003年(平成15年)頃
 あすなろ会やあすなろ支援会など熊本県内のはりの普及のために力を注ぐ。
 あすなろ会は月に1度自宅で開催し、午前中は平方(ひらかた)(はり)科学を勉強し、午後はお互いに実技をして研鑽につとめた。
 平方(ひらかた)のはりを勉強したい人は3年間我が家に通い、昼休みなどに指導を受け、治療に来た患者を対象に技術を深めることができた。そのことにより、平方(ひらかた)のはりのみで開業している人が熊本市内外に数名いる。
2006年(平成18年)9月 脳出血のため左半身が不自由になる。
2018年(平成30年) 広島の厳島(いつくしま)神社や原爆ドームへ総勢11名で家族旅行をする。(これが最後の家族旅行となりました)
2022年(令和4年) はりの治療院を閉じる。
2023年(令和5年)5月 誤嚥性(ごえんせい)肺炎で入院する。
  金婚式を迎える。
2024年(令和6年)11月15日午後2時28分 召天 75歳
         
 夫・才田覚は、はりの治療をするのがとても好きでした。生き甲斐でした。
 「(めし)よりはりが好きだ」とよく言っていました。
 大好きなはり治療を一生の仕事にできたことは本人にとって一番幸せなことだったと思います。
 今までお世話になりました。これからもよろしくお願いいたします

才田先生遺影